「歴史を紡ぐ」と言う表現がある。
果たして本当にそうだろうか、とときどき思う。
時にがむしゃらに・・・
あくまでも淡々と・・・
そしていつも飄々として・・・
いつものやり方で切り抜ける。
紡ぐという表現は、
なんだか連綿と、延々と、「連続したもの」であるようで
経緯と束縛条件が次の果実を実らせ続けているような
感じがするとは思わない?
でもそうではなくて、
もっと
孤独で、
刹那的で、
ある種「なんとか切り抜けている」感じではないだろうか、じっさいは。
わくわくするような仕掛けがタイトロープに括り付けてあるようなものなんんじゃないか。
約束された成果ではなく、どうにか一つ一つをつかんだ偶然の蓄積なんじゃないか。
そんな風に思ったりするのだ。
だからこそ長い歴史をもつものには
ただ漫然と長らえてきたものとは「ちょっと」、しかし「明確に」違って、
どこか優しさのようなもので包容してくれるような「おおらかさ」があるように思う。
そして、そういうものに触れた時に自然と、謙虚さと感謝の念が湧くから不思議だ。
他方、天真爛漫なあなた。
あなたは今微笑む。
その微笑みは一瞬の輝きのようなもの。
その一瞬の輝きがあなたにすてきな齢(よわい)を与えているのだろう。
老いやふけることは違うのだと思う。
やり過ごすことともまた違う。
過ぎ去った過去では到底なくて、
君が微笑むほどに、
多くの人に勇気と安らぎを与え、
そして前に向かせるのだ。
そしてまた微笑むでしょう、また明日も、明くる日も。
あなたが微笑むように、何百年もの歴史を背負うものは、
これからも淡々と、そしてその瞬間瞬間を、最高のテンションと熱狂で駆け抜けるに違いない。
そして、きっと君の微笑みを見るたびに、長い歴史をもつものがもつような
大きな優しさ、安らぎを感じることになるのだろう。
「おしまい」は、つぎの「はじまり」。
黎明の輝きを放つうちに、やがて孤高と呼ばれるようになる。そうに違いないのだ。
だから
駆け抜けては佇む「或る車」の傍らで、またこれからもどうか微笑んでいてほしい。
Special Thanks:Maserati Club of Japan
photogrpher:Masaru Mochida
model:Akira (日本レースクイーン大賞2014 新人賞)
writter:Kentaro Nakagomi