MG TD

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『翁』
花を愛でる。世俗に敏くない。競うことを辞めた。
昔のやり方で息吹くうちに、それが個性となる。古典を通り過ぎて伝統となり伝説になる。
「翁」とはそういうものではないか
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祖父は優しかった。しかしその優しさは「甘い」のとも違っていた。
その奥で、その場では解決できないことを解決してきた「大きさ」のようなものが
常に付き纏っているようだった。
そして、そうして、ずっと後のことだが、祖父は「翁」になるのだと感じた。
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そのクルマには、そう思わせるだけの何かがった。
これを「徳」というのだろうか?「節度」というべきか?「流儀」でもないだろうか。
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造られた当初はそれなりに最善の方法をもって、十分な性能を与えられたのに違いない。
しかし、今から見ると、仕組まれたように「これでよい」という性能だ。
決して俊足ではない。
だから「勝てない」だろう。でも圧倒的に「満たされる」のだ。
幸福に包まれることは絶対に怠らない。
クルマがクルマたる理由がそこにあるような気がする。
『移動手段』それがクルマの本分であることに、疑う余地はないが。
「それすらもどうでもいい、ただ幸福であるべきである」
そう語るかのようである。
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キャブレターは季節を告げる。
気化器であるからして、寒ければ難儀し、
温かければ微笑むようにたちまち火が入る。
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湿気が多いとなんだかぐずぐずするし、からりと晴れたときのすがすがしさは
エンジンの火のまわりと同じである。
少しエンジンを温めて、走り出すと、
まるで筒内に残る眠っていた間にたまっていた空気をパージし、
あたりの陽気と同化するかのようにクルマは深呼吸しだす。
そしてギヤを介してエンジンと、会話するうちに。
「昔からこうしたものさ」
一連の動作をまとめ、諭し、教えてくれるかのようだ。
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そして、さらに走り続けると、クルマであることすら疑わしくなる。
まるで自分が風と同化したかのよう。季節に育まれているような気持ちになる。
「やがて風になるクルマ」
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クルマが季節になるのだろうか?私が風になるのだろうか?
とにかく、走っているということは、
今を全身で満喫するということなのだ!! 

その喜びさえあるのならなんだっていいじゃないか。
全く論理的じゃないのだけれど。「うん、それでいいや。」
そう納得させるだけの器があるのだ。
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翁とは確かに人格もかすかになるものだ。それがなんであるか、だれであるかではなく、
漂うがごとき季節のようなもの。風景のようなもの。
一番美しい季節とはいつだろうか?
・・・・
そんなことをぼんやりと思っていると、
「私にやらせて」、とコックピットに座って、見よう見まねでエンジンをかけると言い出した彼女、
案外うまくやってのけた。
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「どう?大したもんでショ?」
そう言われると、そうだねとは言いたくなくなるのだからまだまだ器が小さいものである。
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「少し走る?」
彼女がそういうのでコックピットは私に交替することにした。
花どころではない、「今まさに芽吹かんとする!」とはこういうことなのだよ。
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そう言うかのように道の両側の木々の鮮やかに深く緑な葉を見ていると
何とも大きな「欠伸」禁じ得ず!!
見ぬふりをしてくれたのは彼女の優しさ。
「さあ、行こうか」と言うや否や、私はクラッチの繋ぎをしくじった。
全く台無しである。
(嘘でショ?)という顔で何も言わず彼女は私の顔を覗き込んだ。
僕は翁の前に自分の小ささを思い知るかのような情けない気持ちになった。
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もう夏はそこまで来ているようである。
photogrpher:Masaru Mochida
model:sakiko kasuya
writter:N.K