Ferrari Testarossa

憧れは季節のように 
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春になったら西の郷里に帰るという話を聞いたのは半年ほど前。
なんだか信じられないまま月日が過ぎた。
春の声を聞き始めてから、ことしはとても冷える。
「春になったら」そう彼女は言っていたのに、こんな雪さえも舞う昼下がり、
旅立つという。しかも、「最後に見せておきたいの」というクルマと共に。 
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「ちょっと気になるスポーツカーがあって、買おうかどうしようか迷ってるんだけど…」
クルマのことなど口にしない彼女がどうもそわそわしたのはここ一か月ほど。
しかし、車種を聴いても教えてくれなかったものだから、普段クルマのこととなるとついつい声が転調してしまう私も、あまりその話を深追いしないことになっていた。
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というか、クルマのことで相談しないばかりか、秘密裏に動く彼女に対しふてくされていたし、まだ見ぬクルマに対し「妬いて」いた。自分でも子供じみていると反省している。
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そして待ち合わせの場所に行くと、黒いフェラーリの横に立つ彼女がいた。
「どう?これ買っちゃったの。」
そういう彼女は、ある意味で浮いていた。グラマラスで黒なのに、全く地味さがなく
華やかですらあるそのクルマに対し、彼女は清楚に過ぎた。ただ、だからこそ、この幾多もの文言で語り倒されることの多いフェラーリに対し負けることなく、対峙しているようにも見えた。
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私はクルマ屋さんを冷かして歩くのが好きだ。実はこのクルマ、初めて彼女を連れて入ったクルマ屋さんで見たクルマそのものだった。
幼いころからの憧れの名車であるということ。
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現在ではその流通相場が不当であるといってもいいほどの値段であるということ。
まるで天上の響きのような甘美なる響きの12気筒エンジンが魅力の肝であるということ。
もともと選ばれたものしか所有することができなかったものが、今ここにきて、
広くユーザーになりうる手軽さがあることが、むしろ「危ない香り」がするということ。
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もともとのこのクルマの背負うストーリーからすればとんでもなく手軽ではあるものの、
やはり、他の何にも代えがたい、美しいデザインの仕事は価値のあるものであり、それが傍らにある日常の素晴らしさ、、、、
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その時、本で読んだことから想像したことまで、ありとあらゆることを彼女に言って聞かせたが、彼女がどんな顔をして聞いていたのか、まったく覚えていない。
おそらくクルマの方ばかり見ていて彼女のことを見ていなかったのだ。
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「懐かしいでしょ?あの時あなたが熱く語るのを思い出したの。だから買ったのよ。」そういうと携帯の画面を私に見せてきた。
そこには、僕と彼女が、このクルマの前で撮らせてもらった写真が映し出されていた。
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「このクルマで帰るんだ、気を付けてね。」
西の港町が彼女の郷里だった。異国文化もかなり古いものがあり、そんな街並みを走り抜けるこのクルマと彼女。悔しいけれどマッチしていると思った。
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彼女と思い出もここまで、憧れのクルマと共に遠くへ行ってしまう彼女。
なんだか自分の前を過ぎていく「季節」のようにだと思った。
もう思い出を刻むこともないのか、とてもさみしくなってきた。
どうすることもできないまま出発の時は迫る。引き返せないのだから
僕らの時間は、まさしく過ぎていった季節のようです。
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「向うで待ってるから、もしまた訪ねてきてくれたら、このクルマ乗せてあげるね」
そういう彼女は、今まで僕の抱いていたそそとしたイメージからかなりかけ離れたアクティブな印象を受けた。そしてその言葉に、なぜか僕は安心した。
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時も過ぎた季節も、二度と引き返すことはできないのだ。
売れてしまったクルマだって、もう買うことはできないのだ。
でも、その言葉に、私は猶予を与えられた気がしたし、私が買えなかったものの、
彼女が購入したことにある種の安堵を覚えた。
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「きっと行くよ、元気でね。」
そう僕が言うと、ゆっくりとギヤにローに入れて、
春を待ちわびているこの街を後にした。
走り去る後ろ姿に対し、小さく敬礼をした。
かなたの空が少し晴れてきた気がした。
冬に分かれを告げ、春を迎え入れるために、
私の憧れのクルマと共に楽しい時間を差し出したような気持ちになった。
photographer:Masaru Mochida
Writter:Kentaro Nakagomi
model:Ayana Suzuki